【コラム】~「私の歴史」の事実から~
~~~~~【コラム】開始~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
約60年前のことです。本サイト運営責任者(原田豊)の鶴高三年(1966年)の秋であった記憶です。
日本史か現代国語か、定かではないのですが、佐々木先生が授業の最中、教室の生徒全員に、こう質問されました。
「歴史は進歩していると思いますか?」
誰も答えなかったので、私は挙手し、こう発言しました。
「歴史って、進んでいるのだから、質問がおかしくないですか?」
この発言に対し、生徒の誰かが異論を唱えたか、先生から解説があったかどうか、記憶は定かではありません。
~~~~~【コラム】終了~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
実はこのことは、ずっと気になっていました。(自分の発言が❝おかしくなかったか?❞)
そして今、「歴史の進歩」について、改めてこう発言し直したいとの思いに駆られています。
『佐々木先生、ようやく先生の質問の意味理解に至りました。「歴史の進歩とは」、単に時計の針が進むことではないのですね。
また、「法律」を守る(「法の支配」)だけでは、歴史の進歩はないようです。
60年経ちましたが、「歴史の進歩」を目指す「新しい契約書のひな型」を創りましたのでご報告いたします。と共に、今、私は以下のように思うのです。
「歴史の進歩」とは?その原動力となるもの!
「法律」という「守り」や「硬直的規定」から超克(「止揚」)し<※>、その時々の「環境」下の【現場・現実・現物】に即応し、目指す『目的』(よりよい社会を創る『三方よし』の思想による『目的』)に適合する「最良のもの」(「手段」=「契約」)を国民の一人ひとりの契約当事者双方が『自律と協働』で選択するのです。これこそが、国民にとっての真の「契約自由」であり、「歴史を進歩」させる原動力となるのではないか。
<※>法令や社会ルールは当然に守ります。というより、積極的に肯定(活用)します。⇒拘束される可能性のある「法令、慣習等」を積極的に排除(悪しき慣習や任意規定を留保)し、拘束からフリーとなります。
やっとスタートラインに立てたか?
しかし、「やっとスタートラインに立てたかな?」というのが偽らざる実感です。先生、ありがとうございました。深く感謝致しております。』
また、同じ1966年の秋、「政治・経済・社会」の授業で私を「法の世界」へ誘っていただいた山崎先生、青春時代を共に悩み共に学んだ学友にも深く感謝しております。また、鬼籍に入られた先生、学友、そして両親にも、深く感謝すると共に、哀悼の念を捧げます。
「三方よし」/『自律と協働』プロデュース事務所 原田豊
2026年4月27日
【特記事項(補足)】
通常、コラム欄は末尾に記載されるが、ここでは冒頭に記載しました。
この理由は、わたしが理論や学識を述べる学者でもなく、小説を書く文筆家でもなく、そのような知見も能力も有していないからです。
歴史に関する知識(「進歩史観」等)も持ち合わせず、事実から述べるしか私には術は有りません。
今、「歴史の進歩とは」をGoogleで検索し、以下のような回答を得ました。
歴史の進歩とはなにか (岩波新書 青版 800) 新書 – 1971/10/20
この時期に、このような書籍が出版されていることは、知りませんでした。精読し、読後感をご紹介すると共に、拙意との差異についても言及できればとの思いでおります。(2026年04月29日原田豊)
また、本サイト読者様からの忌憚のないご意見をも大いに期待するところです。ご高配のほどよろしくお願いいたします。
最後に、この頃(1969年~1970年頃)、私は『社会契約論』(ルソー)を読み、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー)、『実践論・矛盾論』(毛沢東)を読み、1971年夏『マックス・ヴェーバー研究』と題した卒業論文の作成に多くの時間を割いていました。ご指導いただきました成城大学(当時:社会思想史ゼミ教授)上野格先生には心より深く感謝申し上げます。

