「三方よし」と「一般意志」との相関~『仮説』設定!:

【補注】本図は、完成型ではなく、目指し続けるものとしての「仮説」です。先のページ⇒ 環境適合するため、不断に「検証」を続けていくべきものです。
本図を見た多くの人は、「三方よし」は経済思想(商人道の哲学)、一方のルソーの思想は「政治思想」であり、同一視するのは誤りだ! と指摘されるかも知れません。
しかしながら私は、経済も政治もその土台(【基礎】)では通底していると感じています。(自らの言葉で論理立てて説明することは難しい。)
したがいまして「仮説」設定としました。なぜならば、経済主体も、政治主体も、「人間の意志」であり、ルソーも以下のように言っているからです。(ルソーの言葉を引用することで、上の【仮説】の「検証」にチャレンジします。)
「検証」箇所を引用します。
(引用した書籍:『ルソー社会契約論』(桑原哲夫、前川貞次郎(訳)/岩波文庫 1954年。)
検証1.第1編第1章第1編の主題(P15)
人間は自由なものとして生まれた。しかもいたるところで鎖につながれている。自分が他人の主人であると思っているようなものも、実はその人以上にドレイなのだ。どうしてこの変化が生じたのか?わたしは知らない。何がそれを正当なものとしうるか?わたしはこの問題は解きうると信じる。
~私も上図の「仮説」を「検証」し得ると信じるのです。
検証2.第2編第12章「法の分類」(P81)に、「最も重要な法」として、ルソーは次のように語ります。
・・・これら第三種の法(政治法、民法、刑法)に、第四の法、すべての法の中でもっとも重要な法が加わる。この法は、大理石や鋼板に刻まれるのではなく、市民たちの心に刻まれている。これこそ、国家の真の憲法をなすもの、日々新たな力を得て、他の法が老衰し、または亡びてゆくときに、これにふたたび生命を吹き込み、またはこれにとって代わるもの、人民にその建国の精神を失わしめず、知らず知らずのうちに権威の力に習慣の力をおきかえるものである。・・・ 習俗、慣習、ことに世論である。」
習俗、慣習の実体験事例(参考)
検証3.第3編第11章「政治体の死について」(P126)に、こうあります。 ( )は原田の補注です。
政治体の生命のもとは、主権にある。立法権は国家の心臓であり、執行権は、すべての部分に運動をあたえる国家の脳髄である。脳髄がマヒ(麻痺)してしまっても、個人はなお生きうる。バカになっても、命はつづく。しかし、心臓が機能を停止するやいなや、動物(個人)は死んでしまう。国家は、法律によって存続しているのではなく、立法権によって存続しているのである。昨日の法律は、今日は強制力を失う。しかし、沈黙は暗黙の承認を意味する。主権者が法律を廃止することができるのに、それを廃止しない場合には、彼(主権者)はたえずその法律を確認しているものとみなされる。主権者がひとたびこう欲すると宣言したことは、すべて、取消さないかぎり、つねにそれを欲していることになるのである。・・・(中略)・・・もし主権者が、それ(古い法律)をたえず有益なものであると認めなかったならば、彼(主権者)はそれを千回も取り消したであろう。よく組織されたすべての国家で、法律が弱まるどころか、たえず新しい力を獲得しつつあるのは、このためである。古いものをいいと思いたがる心が、日に日にそれを一そう尊重すべきものたらしめる。これに反して、法律が古くなるにつれて、力を失うようなところではどこでも、そのこと自体が、そこにはもはや立法権がなく、国家が生命を失っていることを、証明している。
検証4.第2編第3章「一般意志は誤ることができるか」(P47~48)
人民が十分に情報をもって審議するとき、市民がお互いに意志を少しも伝え合わないなら[徒党を組むなどのことがなければ]、わずかの相違がたくさん集まって、つねに一般意志が結果し、その決議はつねによいものであるだろう。しかし、徒党、部分的団体が、大きい団体を犠牲にしてつくられるならば、~(中略)~そうなれば、もはや一般意志は存在せず、また、優勢を占める意見は、特殊的な意見であるにすぎない。だから、一般意志が十分に表明されるためには、国家のうちに部分的社会が存在せず、各々の市民が自分自身の意見だけをいうことが重要である。
以上の引用文を深く理解し、以下1.2.が「検証」されると考えます。その事由を記載します。
1.『目的』(「新しい契約」による地域活性を目指す!)の適合性:
弊所『パーパス』における『目的』は、以下です。
協働・協創により「現場」の【基礎】(「プラットフォーム」)が強固となる「新しい契約」による地域活性を目指す!
⇒第3の引用文でこう言っています。
(右をクリックして再度ご確認ください)→「法律が古くなるにつれて、力を失うようなところではどこでも、そのこと自体が、そこにはもはや立法権がなく、国家が生命を失っていることを、証明している。」
私たち「市民社会」の法律とは「契約」です[下記※<注1>参照]。すなわち、「古い法律」(「従来の契約」)から「新しい法律」(「新しい契約」)への転換が必要です。
「従来の契約」から「新しい契約」への転換の「先行実践」(←コチラをクリックしてご覧ください。)
2.全ての情報を得て、「自律意志」を表明することで、契約は正しく成立する(誤ることがない):
第4の引用文でこう言っています。→再度ご確認下さい。「人民が十分に情報をもって審議するとき」とあります。また、部分的社会が存在せず、各々の市民が自分自身の意見だけをいうことが重要である。」とあります。
すなわち、「審議する」とは、「新しい契約」に関わる情報を契約当事者の双方が見えるように公開(オープン化、見える化[下記※<注2>参照])することが前提であり、自律理解(自分自身が心底納得)し、契約合意することが必須要件であり、かつ、その効果として「多様な社会的関係者」(「エンドユーザー」=「社会」)の納得も得られるようにすることが不可欠となります。この要件・効果の発現を以って「一般意志」「三方よし」を実現することとなります。
⇒ここで注意が必要です。契約合意に至るプロセスにおいて、徒党、部分的団体が、大きい団体を犠牲にして契約(市民同士の「自律意志」ではなく「他律意志」で)合意されるならば、「一般意志」は存在せず、したがって「三方よし」とはならず、大きな団体、力関係が優位な「特殊的な意見」であるにすぎないこととなります。⇒《例示》エンドユーザー(国民・消費者)のニーズ(社会課題)を満たすための契約合意ではなく、契約当事者の上位者(行政府の所管庁や関連団体、親企業等)の意向を忖度するような契約合意は「一般意志」「三方よし」ではありません。
※<注1>ルソーはこういいます。「国家は法律によって存続しているのではなく、「立法権」によって存続しているのである。」と。しかしながら、市民は直接に「立法権」を行使できません。直接に行使できるのは、以下です。
「国家」は「法律→立法権」ですが、「市民社会」は「契約→契約締結権(「契約変更権」)」です。これが、国民一人ひとりが「安心、安全に幸せに生きる未来」をつかみ取るためのすべて(仕事や生活上)の【基礎】(「プラットフォーム」)です。
※<注2>:各企業が作成する「基本契約書」は本文中に「個別契約書」を優先適用するとしています。特に大企業の場合、この「個別契約書」が多く発行されます。したがいまして、これら「すべての情報を得て([オープン化/見える化])」した上で、相手方(大企業)が作成する「個別契約書」を含めて「基本契約書」に合意するか否かを検討する必要があります。
【実践事例】~[オープン化/見える化]~
弊所では、「新しい契約」の実践として「相談サポート」として【合意書(原案)】、「業務サポート」として『契約書(原案)』を公開しています。⇐⇒ルソーのいう人民(契約の相手方及び「三方よし」の社会の一般市民)が、この情報(サポート内容)を十分に審議するには、この「ネットワーク社会」にあっては、まずネット上に「公開、オープン化、見える化」することが前提と考えるからです。
『説明書』を無料送付いたします!
本サイトでは字数の制限もあることから、十分な「検証」説明がなされていないことが想定(懸念)されます(上記、検証1~検証4の引用箇所の他、第1編第6章「社会契約について」~第8章及びその他にも 重要な個所があります)。また、現民法の基本原則が正しく理解・解釈されず、したがって正しい運用がなされず、「現実」の契約「現場」に、日々「問題」が発生しています。
したがいまして、『説明書』でこれら「問題」を整理し、解決策を提案したいと考えます。
特に、中小企業・小規模事業者・個人事業主、フリーランスの方々には、以下の【『説明書』のご案内】より無料送付致します。
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『特記事項』ルソーの本音に【気づき】を得ました。5つ目の引用文を追加します。(2025.09.15)
4つ目の引用文まで、以上の記述のように判断し、ここまで記述を進めてきましたが、あらためてルソーの本音はここではないかとの思いに至りましたので、ここに以下「検証5」として記載致します。(2025年10月18日追記)
検証5.第4編第9章「結論」(P194)
政治的権利の真の諸原理をすえ、この権利の基礎のうえに国家をきずくことに努力したあとに、残されている問題は、国家をその外的諸関係によって支えることである。この問題は、国際法、商業、戦争と征服との法、公権、同盟、狭義、条約、等々をふくむ。しかし、すべてこうしたことは、短見のわたしにとって、あまりにも広大な新しい題目である。わたしはもっと身近なことに、いつも眼をそそいでいるべきであっただろう。
このルソーの「結論」でいう「もっと身近なこと」とは、何だったのでしょうか?
先のページでご案内した弊所の『目的』である「地域活性」の「地域」(「人が住み、仕事する「現場」/【基礎】(「プラットフォーム」)すなわち、家族(親兄弟)・友人・隣人・地域住民等「身近な人々」の「一般意志」】)だったのだと思われます。
そのことを証明するかのように、ルソーは第一篇の「はじめに」においても、以下のように語っています。第1編「最初の社会について」(P16)
あらゆる社会の中でもっとも古く、またただ一つ自然なものは家族という社会である。・・・(中略)。だから、家族そのものも約束によってのみ維持されている。・・・(中略)。だから、家族はいわば、政治社会の最初のモデルである。支配者は父に似ており、人民は子供に似ている。そして、両者ともに平等で自由に生まれたのだから、自分に役立つのでなければ、その自由を譲りわたさない。ただ異なるのは、家族においては、父親の子供にたいする世話をつぐなうものは子供たちにたいする愛だが、国家においては、支配者は人民にたいして、この愛を持たないのだから、支配する喜びがこれに代わる、という点である。
また、『社会思想史講義』(山中隆次・中村恒矩・藤田勝次郎編集/新評論社)第1部第4章フランス啓蒙思想「ルソー」(P95)で、以下のように解説しています。
ルソーがどの階層よりも耳傾けようとしたのは、家族を養うに足る耕作地をたとえ借地としてであれ手に入れて、独立自営農民層に上昇することを望んでいた農民層の多数派の要求であった。彼らの願望は革命前夜に大きな高まりをみせるであろう。ルソーが人民主権を主張して、民主制に執着する根拠は、そもそもここにある。
[総括]したがって、本ページの「思想」の【仮説】は「検証」し得たと見なします。すなわち「三方よし」も「一般意志」も目指すところは同じ、「社会よし」の社会(「相手よし」「自分よし」の人民主権の「市民社会」国家)を創る「契約思想」なのです。
あとは、契約の「現場」「現物」を❝深掘り❞し、「現実」を正しく捉え、「問題構造」を解明し、解決策を提言するのです。日本国の「民法」(契約法)を深掘りしました。⇐コチラをクリックしてご高覧ください。

~コラム開始~
(コラム目次)
1.大学での学び:
2.脳裏に刻まれた用語:
3.社会人としてのスタート:
4.契約(販売)業務の実践:
5.コンサルを希望し、関連会社への異動を自己申告:
1.大学での学び:
半世紀以上も前になりますが、大学3年次からのゼミでのテキストは『社会思想史概論』(高島善哉・水田洋・平田清明(著)/岩波書店)であり、講義と講義の空時間、部活(体育会漕艇部)開始前の空時間は大学図書館での読書(ゼミの輪読の準備)にあてていました。
同時にその頃から、社会学を学びたく大学院への進学を意識し、英語及び独語の勉強をしておりました。(漕艇部での合宿中も、練習後の仮眠時、一人テキストを開き勉学に励んだものです。)
このような中、『社会契約論』(ルソー)に出合いました。専門科目とし選択、熱心に聴講した『産業構造論』(斎藤正教授)と共に、脳裏に刻まれた3つの用語があります。すなわち、以下です。
2.脳裏に刻まれた用語:
1)日本の産業は二重構造、2)社会契約 3)人間の本質は「自由(自己保存)と慈悲」
その後、事情あり、かつ経済情勢の変化の兆しを感じとり、就職することとしましたが、この3用語が私のキャリア形成(思考行動)に影響を及ぼしたといえます。
3.「社会人」としてのスタート:
(上の「1.大学での学び」の成果でしょうか?あるいは内部環境(生来の性格、親兄弟の指導)の影響でしょうか?)
第一に、新卒で選択したのは、『寄らば大樹の陰』である大企業を敢えて避け、中堅の製薬会社としたこと。
第二に、上記製薬会社は1年弱で退職しました。その動機は「自己の意志に反する業務であったこと。しかもその業務は、当時環境破壊の元凶とされていた、車での業務であったことです。(車の排ガスは規制前であり、光化学スモグが列島日本を覆っていました。)
第三に、日本は「加工貿易立国」であり、「製造業(ものづくり)立国」したがって、中途採用募集の「生産管理職」に応募することにしました。
※ここで告白が必要です。その真の動機は、「中小企業診断士」資格を取得した上で、40歳くらいまでには「中小企業の経営指導を生業」としたいとの思いが強く、その勉学の時間確保ができそうな半官半民の会社が合理的ではないか、との判断が働いていました。(当時のNECは日電公社と揶揄されていました。)
【特記】役員面接で、「当社希望の動機は」と聴かれた際のその返答は、「NECというよりも、日本は加工貿易(製造業)立国。したがって生産管理のプロになり社会貢献したいからです」であり、希望どおり、採用になりました。これは偽りのない本心、「自分の意志」でした。(「定年まで勤めたいか?」とは問われませんでした。同じ時期、本田技研も工場勤務要員を募集していましたが、応募しませんでした。理由は上記告白のとおりです。)
4.「契約」業務の実践:
1)初配属先は、交換機事業部生産管理部業務課、業務は「契約担当」とされました。
(1973年2月19日本社にて入社手続き後、即日相模原事業場へ社有バスにて移動し着任しました。)
学生時代に脳裏に刻まれた『社会契約論』の「契約」と合致しました。実務での「契約」との出会いです。(心躍る感覚があった記憶です。)
■当初の計画どおり、「中小企業診断士(鉱工業)」の自己研鑽(自費)を開始しました。また、会社の自主研修を積極的に受講し、「トヨタかんばん方式」に関する書籍からの知識修得も、精力的に進めました。また、業務の空き時間には「契約に関する書籍」を貪り読みました(半世紀を経た今も事務所の書棚の片隅に存在しています)。
■これら積極的な取組が評価されたのでしょうか?さらなる「契約実務」を任されました。~所属した交換機事業部は、本社営業部門からの受託生産事業部であり、営業活動をまったく行っておりませんでした。このことは、前職経験(製薬会社のチャネル販売業務)もあり、常々不思議に思っており、自己申告で、そのことを提言すると、交換機需要も減速する中、交換機の枠(「架」といいます)制作技術(鉄板加工技術)を一般市場に販売することを検討していた事業方針と合致し(おそらくそういうことだと回顧)、その受注担当となりました(本社財務部からの指導の下、「注文書」・「注文請書」・「検収書」・「納品書」の発行方法を学びました)。
2)部内異動で、資材管理課へ異動。
交換機事業部の「資材費予算管理」及び部品受発注業務を任されました。部品メーカへの部品発注・納品管理であり、まさに「契約業務」ではありますが、実際の契約窓口は購買部であり、直接の契約担当ではありませんでした。ここでも、さらに研鑽に励みました。(自己研鑽ではMRP、TQC、KJ法、会社の研修では「システムアナリスト(SA)教育」等々。)
3)「国内民需市場」拡大方針下、「国内販売事業グループ」への異動。
【特記】ある日突然、岐阜支店への内示を受け、約束が違う(募集要件と違う)と感じました。
これぞ、ルソーのいう「自然的自由」と「社会的自由」のギャップ!?
採用試験の役員面接では、「当社応募の理由は?」と問われ、「NECと言うよりも、日本は加工貿易(製造業)立国であり、この度の貴社の「生産管理職の募集」に際し、「生産管理」のプロになりたいと考えたからです。」と応え採用されました。しかしながら、当時は「ジョブ型雇用」ではなく、いわゆる「メンバーシップ型雇用」であり、しかも「契約締結」時、「誓約書」(「就業規則」)(転勤には応じる旨の規定があります)に押印しておりました。~これは後日に社会経験を経て、初めて客観的に認知できる事柄であり、当時の社会人2年生には、気づき得ない「現実」だったと言えるでしょう。しかし、よくよく考えれば、岐阜支店内示までにも、海外営業への異動打診、NTT営業への異動打診を受けており、社会の現実とは、このようなものであること(そもそもが「メンバーシップ型雇用」制度下で採用されていた)と理解することが可能なのではあります。そして今、次のように【回想】することになります。
【回想】最初の異動打診の際に、「約束が違います。「生産管理職」として採用されたのだから、なにゆえに海外営業への異動の打診をされるのか?入社時点に「異動、転勤に同意」とされる書面に押印していたとしても、説明もなくただ「ここに押印を」と言われただけでありました(読む機会も与えられませんでした)。私の意志と異なります。雇用契約の修正(誓約書の修正)をしてください。」と申し出て協議すれば転勤がなかったかも知れません。(下記※【補足情報】参照←クリックしてご参照ください)
また、そのような「強い意志」を持ち、確実に書面による契約変更しておけば、岐阜支店への突然の内示、異動はなかったのではないだろうか。そこまで「強い意志」がなかったことを原因とする自己責任(或は気づき得なかった自己責任)と解すべきなのでしょうか。あるいは、このような意思表示(申出)をしていたとしても、ルソーのいう最も強い第四の法(慣習)には勝てなかったかも知れません(採用の経緯はともかくとして、当時の雇用契約は「メンバーシップ型」が当然であり、雇用【慣習】であったのです)。
しかし、先人は❝可愛い子には旅をさせよ❞ないし❝若いころの苦労は買ってでもせよ❞とも言います。40年の時を経た今は、後述しますように、「初志を失わず、自己の意志」を判断の基準にした行動が間違いではなかった」と言えるとの思いに至るのです。すなわち、今ある自分は、「社会的自由」の何かを真剣に思考し行動した結果の成果であると!~詳しくはさらに以下に述べます~
しかしながら、将来の「中小企業指導の生業(人生目的)」のためには、この分野(販売、営業)の経験も有益ではないかと判断し、内示を受け入れることにし、1ケ月強にわたる「転入営業マン教育」を受講した後、岐阜支店へ着任しました。(1981年7月の暑い暑い日でした。当時満31歳、妻子帯同としました。着任した夜、環境が変わったためでしょう、1歳の長女は夜通し泣き止むことはありませんでした。)
岐阜では、大きな出合い(滋賀県(近江)出身の同年の実業家H.O氏との運命的ともいえる出合い)がありました。別途に機会を創りご紹介をいたしたく思います。(H.O氏は同年齢でもあり、H.O氏の創業年月が私の岐阜支店への着任年月でもありました。)
※【補足情報】私と同じように営業への異動を打診された人(営業同期)は数十人おりましたが、何人かは内示段階で退社(噂でしかありません)し、何人かは研修終了後の新任地へ着任する直前(郷里への引っ越し完了後)に退社しました。また、数年後に退社した人も何人かは存在しました(生まれながらに性格上営業に向かないと考える人は現実に存在します)。したがって、自分の意思を受け入れてもらうための協議可能性があるとはいっても、現実は困難です。慣習の力には抗しきれません(戦う相手は、会社のみならず一般社会常識、社会通念となるからです)。他方、戦う相手は「自己自身」と考えることもできます。上に述べました「社会的自由」で人生目的を設定するという方策があり得ますし、次項(5.)での選択行動(「メンバーシップ型雇用」制度下における生来の「自然的自由」の主張と行動)もその方策(人生目的設定)の選択肢の一つであります。
以降、大宮支店(翌年埼玉支社)、所沢営業所(翌年所沢支店)、立川支社、東北支社と異動となります。~これぞ「メンバーシップ型雇用」です。
5.コンサルを希望、関連会社への異動を自己申告:
東北支社への異動は、昇格異動でしたが、上に述べたように常々考えていた(生来の「自然的自由」の主張と行動)コンサルへの転業の最後のチャンスと考え、転業希望先の社長(生産管理部時代に自己研修で受講した「SA教育」の担当課長であり、岐阜時代共にFAXを拡販した際のFAX販推本部長K.A氏)へ根回し、自己申告しました。(また在籍する販売事業グループの上位上司である役員にもお骨折りいただきました。)しかしながら、希望かなわず(本社人事を動かすこと出来ず)、所属する「国内販売事業グループ」内の首都圏地区の「コンサル営業推進部門」への異動となりました。
以降の「職務歴等」はここでは割愛します。当サイト開設当初(2024年4月)、原田豊の歴史(←クリックして確認できます)に記載しています。
その他 原田豊の「職務歴等」の略歴(「プロフィ―ル」)はコチラからご確認できます。
~コラム完~
【参考文献】
1.『ルソー社会契約論』(桑原武夫、前川貞次郎(訳)/岩波文庫 1954年。
【補足】:難解な書物です。「はじがき」に合わせ末尾の「解説」を先に読むことをお薦めします。
2.別冊NHK100分de名著 読書の学校 苫野一徳 特別授業『社会契約論』2020年。
3.『社会思想の歴史』(坂本達哉/名古屋大学出版会 2014年)
4.『ルソーの政治経済学(その現代的可能性)』(鳴子博子著/晃洋書房 2023年)
【補足】:本書の「はしがき」の中ほどにこうあります。「人類を構成するのは民衆だ。民衆でないものはごくわずかなものだから、そういうものを考慮に入れる必要はない」とルソーは『エミール』の中で言い切っている。と。一方『社会契約論』では、上記に引用したとおり、冒頭(第1編第1章)で、「人間は(すべて<原田注>)自由なものとして生まれた」と言っている。ルソーの「言葉」の難解さは、この辺にありますが、鳴子博子氏は、ルソーの「言葉」の奥に沈潜し、人間の本質を深く適切に読み解いておられる。
本書は、現代的課題を真剣に考える人にお薦めの希有な良書です。今、まさにこのような視点から、教育現場への啓蒙・啓発が求められていると思考します。しかも(むしろ)、経済界(仕事や生活の「現場」)で七転八倒しながら苦悩し生きてきた民衆(市民)の「現場のニーズ情報」の結集が求められていると思います。その「結集方法」をどうするか、そしてその「現場のニーズ情報」へのサポートの方策(協働者の結集・結合方法)を模索する者の一人として、如何に行動するか?
この行動の第一歩として 上に記載しましたように、今、弊所にできる第一歩を踏み出しましたが、この拡大・普及・定着、すなわちルソーのいう「一般意志」の拡大・普及が時代の課題と思考しています。
5.『商家の家訓』(吉田實男/清文社 2010年)
6.『社会思想史講義』(山中隆次・中村恒矩・藤田勝次郎編集/(株)新評論 1985年)
本書は、執筆者のお一人の上野格先生(私の成城大学時代のゼミ担当教授)より1986年1月2日(NEC岐阜支店勤務から東京に異動になった翌正月)、教授宅を訪問時に贈呈を受けたものです。この度の社会思想の歴史に学ぶにあたり、あらためて再読しました。当時も鉛筆で線を引きながら主要ポイントにマーキングしておりますが、当時は明日の実務に追われ、今日的問題への気づきが希薄でありました。この度、再読することにより、あらためて現代的意味を知る機会を持てました。先生、2025年の今年満95歳、ご健在です。あらためて感謝の気持ちを深めています。益々のご健勝を祈念致しております。同じく執筆者のお一人の山田高生教授は、私が社会思想史に興味を持つキッカケを創っていただきました。(2年次の社会学の講義で夏休み中に、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の『精神』」を読むことを薦められ、読んだことがキッカケで社会思想史の上野ゼミを履行することとなりました。山田先生、ありがとうございました。今回、ヴェーバーの正当的支配の三類型(合法的支配、伝統的支配、カリスマ的支配)興味深く、「現在の現実社会もそうではないか?!」と納得しながら読みました。
ご質問、ご確認、ご要望(契約書のチェック、修正等)以下よりお気軽にご連絡ください。
※本記事に関する『説明書』をお送りします。以下をクリックして、その趣旨・請求方法をご覧ください。
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